小津安二郎監督作品から見えた家族

私はこの頃、図書館に行って黒澤明監督の映画や小津安二郎監督の映画を借りてきて良く観るようになりました。

今、の時代とのながい月日をへている作品ながらも全く古さを感じさせない新鮮さがあります。

特に小津作品の映画で伺うことの出来るカメラを全く動かさず、俳優がカメラを見つめて

観客にじかに語りかける手法から 人と人との距離の近さを私は感じました。

限りなく<あなた>に訴えることで作品の世界と観客の日常との距離をちぢめようとしているのではないでしょうか。

「なにか淡々としすぎている」

「脈絡の振幅がおそろしくせまい」

私が初めて小津安二郎監督のカラーの映画『秋日和』観たときの感想です。
(本当に初めて観た作品はモノクロ作品の『東京物語』なのですが、オリジナルを観る前に現代版のTVドラマ版を観たあとでしたので、かなり先入観がはいってしまい<肉眼で観た映画>とは言い難いのではずします)

私がそう思ったのは、「日常を描いた映画」なのではないでしょうか。

普通、私は映画を観るとき日常を忘れさせるような何かを求めて観に行きます。

私が観てきた多くの映画は<私の日常>から離れた映画が多いです。
(時代もの海外の史実を題材にした映画)

しかし、小津安二郎監督の作品は観客との距離をちぢめる手法をとっているため

<私の日常>に近づいていた作品となっているのです。

だからなにか「淡々としすぎている」「脈絡の振幅がせまい」

という<私の日常>への感想がそこに投影されていたのです。

こう考えてみると小津安二郎監督の作品の

厳密な手法で撮影された映画の意味が少し垣間見えた

私はそう思います。

[映画]

秋刀魚の味 [VHS]

秋刀魚の味 [VHS]

感想:私はこの映画で娘とお父さんとの関係について考えさせられました。
と、言ってもまだ私には娘もいないし結婚もしていないので、
私にはまだわからない不明瞭な部分も多い映画でした。
しかし、なんとなく酒場で交わされた男の寂しさや哀しみは
分かる気がしました。