散歩の効能

うつになるとつい家に閉じこもりがちになってしまいます。

そうすると頭もカンズメ状態になって

ふつうの感覚(センス)が鈍ってくるようです。

部屋の中なのにモノにぶち当たってしまったり、

家族の人とすれ違うときでもうまくすれ違えなかったりと

恐ろしい老化現象にもにたことが身にふりかかってくるので

外にでて運動をすることはこういう意味においても

声を大にして

「やろう!」

と私は言いたいです。

まあ、行動に移すまでがタイヘンなんですけどね。

でも、一度ペースをつかめたらしめたモノです。

家にこもっていたおさえられていた

感覚がだんだん目覚めてきて、人とのやりとりの

感覚にも感ずることができるようになります。

あいさつなどはドギマギとしていたものから自然に

返せるようになります(と私は思っているが本当はどうなんだら?)。

考えること

ある日、我が家でもいつも夕飯時になると、
どのの家庭でもあるように今日どのような出来事があったか知るためにTVを
見ながら食事をします。
その日は、ニュースの高次脳障害を取り上げた特別報道特集が放送されていたので、
思わず、箸もそぞろにくぎずけになって見入ってしまいました。

ふたりの高次脳障害になるまでのいきさつと、
なってしまってからの本人や家族の苦悩などが
私と祖母(認知症を患っています)のことも
考えさせられながらみいいってしまいましたね。

とりあげられたふたりの患者さんが凄いなあとおもったのは、
けっして障害からにげようとはせず、
前向きにじみちながらも一歩ずつ
日常生活のなかでも工夫をこらして生活していく
真摯きわまる姿でした。
様子がいきいきとこちらまで
勇気づけられたような気がしました。

私は、連日連夜のパカパカ、パッパッと残虐なニュースが軽くスナック菓子でも差し出されるようなかんかくで
垂れ流されているこの状態は少しおかしいと思っています。
わたしたちが低い倫理性のためにそのような事態が増幅しているのなら、
もういちどみのまわりのことをじっくりと話し合ってみる余地があるのではないでしょうか。


[音楽]

シューベルト:交響曲第5番&第8番

シューベルト:交響曲第5番&第8番

感想:映画『素晴らしき日曜日』
     『未完成交響楽』
で劇中に使用されていた曲。
偶然の一致なのだろうか・・・・。

ラヴェル:管弦楽曲集第1集

ラヴェル:管弦楽曲集第1集

感想:私がバレエ曲のなかでもイチオシ。
精微の極地とは?
と問われたら
この曲を私は推します。   

布団の海にねころんで

「眠れない」このことは
意外と問題です。
意外というのは、
「たいしたことじゃないじゃなあい」
とあっけらかんとした考え方を
お持ちの方がいらっしゃる
ことを考慮して、
(べつに考慮しなくてもいいか)
書いてみました。
しかし、
私にとっては現在大問題なこと。
眠れないと、
日常の動作がおじいちゃんになります。
これだけは私の経験から
判明したことなので
声を大にして言えます。
まず、
○良くモノを落とします。
そこにあったとおもって手を伸ばしたら全然違うところにあって
ハッとさせられたり、ハッとさせられるのはまだかわいいほうで
今もっているハズのものをどうしてか手を放して落としてしまいます。

○人の話が聞こえにくくなる
難聴とまではいかないのですが、ボーッとして人の話を聴いていないというタイプです。
そう、若者(若者が若者と言うのもへんな感じですが)との間でもよくおこる現象ですね。
もっとも、興味のない話はほとんど聴いてない体質なのでそれに不眠で拍車がかかったと
みています。

○呂律がまわらない
これには、かなり驚きました。
こう言おうとして発した言葉が想像を遙かにこえた響きのわるさできこえてきたのです。
軽い失語症なのかもしれません(後日お医者さんに相談しよう)。

○強烈な夢を見る
眼を閉じたとたんにハリウッド映画のはじまりのようなきわめて鮮明な感覚の夢をみさせられます。
特にほとんど寝ていない夜をすごし朝方すこし寝るかなとおもって寝たときの夢がかなり挙列で
おきてからもぐったりです。
これでは休んでいるかどうかさえ分かりませんね・・・。

まあ、ころころと調子の変化はありますが、なんとか
肩の力をぬいて鬱(身体表現性障害でもある)と
なかよくしていこうとおもいます。

[詩]
パソコンで書くと
意外にも
すらすらと
言葉がでてくるのに
驚いてしまう
やはり
私も「現代っ子」なのだ
手書きは考えるね
とにかく
考えて
考えて
考えて
脳から絞り出して
書いていく
どちらが悪いというわけではないけれど
体育会系の にほひ なら後者だな

睡眠不足ののろけ

今日は精神科の受診の日でした。

睡眠時間が極めて短いなかふらつきながらも病院に到着。

すると医療事務の人からこえが・・・。

「ハイ!」(虫が鳴くような声で返事する私)

医療事務の人はとなりのほうへ・・・・・・。

キッ聞き間違い!

ヤバイと思いました。

思わず用もないのに猛烈にカバンをガサゴソ

財布から保険証を抜き出して出発進行万事OK

そしてさりげなくまわりの様子をチェック。

このときの状態を「しどろもどろ」というんですね。

診療中にて
医「からだのぐあいはどうですか」
私「夜眠れません」
医「寝付けないということですか」
私「はい」
医「どれくらいのあいだですか(床についてからどのくらいねつけないのか)」
私「23時くらいに寝ても、27時に寝付きます」
医「食欲はどうですか」
私「まあ、ふつうです」
私「朝と昼があまりよくないです」
医「意欲はどうですか」
私「え・・・・・・うーんっと・・・・」
医「・・・・・」
私「・・・・・」
私「何でしたっけ?」
医「意欲!」
私「すいません、夜眠れるときはすこしできますが、寝れないとボーっとしてしまいます」

このように睡眠不足が続くと咄嗟の判断が恐ろしくできなくなることを身をもってかんじました。

小津安二郎監督作品から見えた家族

私はこの頃、図書館に行って黒澤明監督の映画や小津安二郎監督の映画を借りてきて良く観るようになりました。

今、の時代とのながい月日をへている作品ながらも全く古さを感じさせない新鮮さがあります。

特に小津作品の映画で伺うことの出来るカメラを全く動かさず、俳優がカメラを見つめて

観客にじかに語りかける手法から 人と人との距離の近さを私は感じました。

限りなく<あなた>に訴えることで作品の世界と観客の日常との距離をちぢめようとしているのではないでしょうか。

「なにか淡々としすぎている」

「脈絡の振幅がおそろしくせまい」

私が初めて小津安二郎監督のカラーの映画『秋日和』観たときの感想です。
(本当に初めて観た作品はモノクロ作品の『東京物語』なのですが、オリジナルを観る前に現代版のTVドラマ版を観たあとでしたので、かなり先入観がはいってしまい<肉眼で観た映画>とは言い難いのではずします)

私がそう思ったのは、「日常を描いた映画」なのではないでしょうか。

普通、私は映画を観るとき日常を忘れさせるような何かを求めて観に行きます。

私が観てきた多くの映画は<私の日常>から離れた映画が多いです。
(時代もの海外の史実を題材にした映画)

しかし、小津安二郎監督の作品は観客との距離をちぢめる手法をとっているため

<私の日常>に近づいていた作品となっているのです。

だからなにか「淡々としすぎている」「脈絡の振幅がせまい」

という<私の日常>への感想がそこに投影されていたのです。

こう考えてみると小津安二郎監督の作品の

厳密な手法で撮影された映画の意味が少し垣間見えた

私はそう思います。

[映画]

秋刀魚の味 [VHS]

秋刀魚の味 [VHS]

感想:私はこの映画で娘とお父さんとの関係について考えさせられました。
と、言ってもまだ私には娘もいないし結婚もしていないので、
私にはまだわからない不明瞭な部分も多い映画でした。
しかし、なんとなく酒場で交わされた男の寂しさや哀しみは
分かる気がしました。

創作してみよう

夜、なかなか寝付けない時にいろいろな観念や構想が思いつくのです。

眠剤のせいもあるかもしれませんが、脳のなかでフルオーケストラが

音のチューニングをしているような状態で

うっとうしくて眠っていられませんね。

だから、机にかじりつきベッドのなかではじけだした

ゴミゴミした観念や構想を

詩や散文に著して放射していきます。

うまくスッキリ!(巷で流行)できれば眠ることができるのです。

しかし、つい無我夢中になってしまうとそのまま朝をむかえて

また、ほぼ昼夜逆転生活のはじまりはじまり〜・・・・・となってしまいます。

書くことはおもしろいもので、書けばかくほどあらわしたいコアなぶぶん

がみえかくれしてきて、いつかわ自由自在にコアを表現していきたいと思っています。

でも・・・・寝不足心配(^^;)